2012年01月30日

布告




 高学歴者はもちろん、


 最近ではお笑い芸人から何とアイドルに至るまでが小説を書き、


 出版され、


 作家ともてはやされている。



 馬鹿らしいことこの上ない。



 コネクションも学歴もない私が、

 
 彼らの後塵を拝するなど無意味でしかない。



 もはや選択肢は尽きた。


 私は、


 彼らが逆立ちしても書けないような作品を完成させる。




 つき離してやる。



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2012年01月15日

吐瀉猶予日



 歴史は繰り返される。


 そのたびに人は己の未熟さを知り、泣き、後悔し、それでも生きたいと痛感する。


 存在としての浅ましさ、情けなさはもう見飽きている。


 それでも欲することは止められず、自分勝手に決めた枠のなかで自己中心的にあえいでいる。


 誰かに頼まれたわけでもないのに。


 
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2012年01月13日

今日の懺悔





 小説は教材ではない。



 創作は勉強ではない。






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2012年01月02日

太陽にはならない




 草木や花は、ときどき休む。

 枯れたり、散ったりして、休憩する。

 四六時中咲いて、同一の輝きを発しつづけるのは不可能だ。

 あるいは、それは人工物でしかない。



 血がかよい、温もりをもった花は咲く時期を知っている。

 しっかり休んで、そして大きな結果を残す。

 誰かが言った。

 高く跳ぶには、一度しゃがまなければならないと。



 つねに照りつづける太陽にはならない。

 地味でも無言でも構わない。

 ときに休み、ときに咲く。

 そんな花でありたい。




 
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2012年01月01日

叫ぶ人へ



 新しい朝はよく晴れている。

 車道はアスファルトを剥きだしにしている。

 寒さは緩い。

 まるで気分が一新されない。


 すべてが継続され、我が身の腐敗はいまだ止まらない。


 孤独な空へ叫ぶ。

 歩む先に差す光は、もう絶えることはないのだろうか。

 救われる。

 ほんとうに信じられる。


 その足跡に草木は生えてくれるのか。

 花は、風は、未来はどうか。

 永遠に、唯一無二を追求するのか。

 答えは自分のなかにあるはずだった。


 感情すら湧いてこない独白。

 いつしか、自分を見失ってしまった。

 反問。そして、自己嫌悪。

 また繰り返される。


 表現者たるもの、無駄を削ぎ落とせ。

 ひとつの世界を描くのに時間を費やすな。

 洗練させよ。研磨せよ。

 その一文で、心臓を突き刺せ。


 語りかける先に誰かを求める。

 無人の荒野に、物語は必要ない。

 泪も、いらない。

 笑顔は、いつかの夜に捨てたはずだった。


 叫ぶ人へ。

 叶わぬ夢を抱え、震える睦月。

 進むことも戻ることもできない。

 石になって、転がっていたい。


 叫ぶ人へ。

 栄光の過去は過ぎ去ってゆく。

 振り返っても、誰もいない。

 必要とされたい。


 叫ぶ人へ。

 心が欲するまで待とう。

 もう一度、立ちあがるまで。

 その日が訪れるまで。



 平和な日々に熟れ、声の限りに叫ぶ人へ。



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2011年12月05日

フィクションの意味

 昨日の『情熱大陸』、デーブ・スペクターさんの発言は衝撃的だった。


 同氏の会社はアメリカにもあり、向こうでしか手に入らないゴシップ雑誌などを定期的に送らせているのだが、それを見た取材スタッフが質問を挟む。

小説とか読んだりしないんですか


 これにデーブさんはいくぶん苦笑いをして、

小説? そんな暇ないですよ

 と答え、そしてこう続けたのである。


所詮つくり話でしょ? 小説より、いまここで起こっていることのほうが面白い



 そりゃそうなのである。いまさら知らされるまでもなく、事実は小説より奇になり。


 しかし、だからといって、この発言はたやすく見過ごせるものではない。

 すくなくとも、現在のわたしにとっては。



 最近、そのつくり話を拵えることに疑問を持ちはじめている。

 もちろん、小説そのものから離れてはいない。継続的に執筆はしているし、完成すれば随時、外へも出している。


 夏以降は文学にも挑戦している。以前のわたしでは想像もできないような文体と手法で、摩訶不思議な世界観を描いたりもしている。



 つまり、執筆そのものは充実しているのだ。不安ながらも手ごたえはある。

 
 しかしその一方で、ストーリーを練って小説というかたちにするというこの作業を、いったいいつまで続ければよいのかという、なんとも馬鹿馬鹿しい、漠然とした恐怖に襲われる


 たとえアイディアを自分の外から持ってきたにしても、物語そのものは筆者が生みださなくてはならない。よく言う「ひきだし」、あるいは「キャパシティ」の問題がここで噴出する。



 それでいて、苦心惨憺の末に書きあげた作品は、面白い面白くない、よく出来ている駄作である、といった評価にさらされ、ときに唾棄される。


 そんなもののために人生を賭ける意味はあるのだろうか。現実にはこうして、いくつもの国が生まれ変わり、紛争が絶えず、片やで能天気なメディアが跳梁跋扈する。



 こんな世界を生きるなかで、小説を書くことは、はたして意味のあることだろうか。




 一篇のフィクションなど、ひとりの命さえ、救えないのに。

posted by 孤山青夏 at 19:51| Comment(0) | TrackBack(0) | TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月20日

核心の朝




 私にとって、有意義な人生とは何か。


 金か。友情か。それとも愛か。




 違う。何もかも違う。




 私はきっと、生まれながらの物語人なのだ。



 語り部ではなく、芸術家でもなく、物語人なのだ。




 そんな私にとって、より良い物語を書けたかどうかは重要な問題である




 社会的な地位になどまるで興味がない。


 欲はあるが、それを追求することには絶望している。虚しさに打ちひしがれている。




 私にとっての幸福は、目標を達成し、自分で納得できる物語を書けたかどうか










 ただ、それだけなのだ。



posted by 孤山青夏 at 10:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 独白 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月31日

狂った童よ、死する前に笑え!

 気づかぬ間に、七月が終わろうとしている。


 直接的な原因はどこにあったのか、今となっては判然としない。

 昨年末、かなりの量の小説を書いたが、年が明けた途端、わたしの筆は重くなり、執筆欲も減退して、約五箇月、ほとんど文章を書かなかった。


 五月に小さな旅をした。

 新しい刺戟。


 そして、前向きに生きることの必要性を感じ、わたしはふたたび筆をとることになるのだが、そのころに書いた数篇の短篇小説が、結局は、すべてを変えてしまったのかもしれない。



 人間として、わたしは弱い

 何かというと誰かに縋ろうとする。

 小説や作家にしてもそうだ。過去にここへ挙げた著名な書き手、その作品たちはわたしの命綱だった。

 彼らのようになろう。彼らのような作品を書こうと思い、それを真似ることがわたしの人生のすべてだった。


 この夏にそれらを捨てた

 一切合財だ。何もかも処分した。


 おかげで本棚は空っぽになり、わたしの心もまた、まっさらな状態にもどった。

 今なら湿気を帯びた風に乗って、どこへでも飛んでゆけそうなほど軽い。



 新しい季節がはじまる



 職人的あるいは芸人的な考えをもとにすれば、未熟な自分、不甲斐ない自分を変えるには、修業を積まねばならない。

 現時点の自分が駄目に思えても、それは成長の途中であるのだから、今は耐えて、その道を歩み続けなければならない。


 積み重ねと継続の果てに成長がある、という考え方だ。経験の蓄積のみが自分を変える。


 しかし、わたしはもうひとつの考え方を採ったのだ。

 つまり、これまでの自分を変えるには、これまでの自分を壊すしかない




 言うなれば、動機なき復讐

 理不尽な仕返しのようなものだ。



 あの人の方法論や、あの作家の言葉を信じてこれまでやってきたけれど、結局どんな成果も上がらず、昔のままじゃないか。

 騙されたとはいわない。それを盲信したのは自分だし、得たものもなかったわけではなかった。

 だから捨てるのだ。

 自分を変えきれなかったすべての荷物を処分し、空っぽになった心へ、これまで入れたことのない水を注ぐ



 たとえば読書において。

 わたしはもう、これまでに読んだことのある書き手の作品を読まない

 江戸川乱歩、池波正太郎、司馬遼太郎、東野圭吾、夢枕漠、北方謙三、佐伯泰英、平山夢明……。

 過去に愛読し、興奮した日々は、もう金輪際訪れない。



 たとえば執筆方法について。

 手書きにこだわらなくなるだろう。もし、これまでの自分を成立させていた要素のひとつに手書きが入っているのなら、それを除外して、これまでにない方法で小説を書く必要がある。

 

 たとえば、人生について。

 芸術作品への参加。そして、孤独




 気づかぬ間に、七月が終わろうとしている。


 この夏を境に、わたしは生まれ変わる。



 脱皮した昆虫がすべてその命を長らえるとは限らない。

 成虫になった途端、木から落ちて死んでしまうことだってあるだろう。



 わたしはその可能性に賭ける。



 どうせまだ咲いていない蕾だ。



 風雨のなかに晒したところで、誰が悲しむというのだ。



posted by 孤山青夏 at 10:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 独白 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月30日

彼らについて


 昨年の初夏、集団行動の苦手な私が、ある団体を立ちあげた。

 名称は、〔freefree〕。


 重要な決定権をすべて自分たちでもち、真に自由な表現を貫いてゆこう、というスローガンのもとにこの名前はつけられた。


 所属するのは私のほかに、ヘアメイクアップ・アーティスト写真家スタイリストデザイナーなど、クリエイティヴな活動をするには十分すぎるほどのメンバーがいる。


 きっかけは小さな出逢いから。


 ある仕事のなかで、私はひとりのヘアメイクアップ・アーティストと出逢った。

 いや、あのころ彼はまだ“卵”であった。


 ともに夢をもち、志を胸に活動していたが、互いになかなか結果が出せない。

 その歯がゆさゆえ、何かいままでにない表現はできないだろうか、ともに力をあわせて大きなことはできないだろうかと、私たちは熱っぽく話しあった。


 彼のつくり出すヘアメイクアップは、斬新で独創的。

 それを作品として見せるのは、写真が最適であろう。

 加えて、私は小説を書いている。

 このふたつの表現がもっともよく打ち出せるのは、やはり本しかない。


 われわれはそうした流れの末に、なんと無謀にも、写真集製作を企画したのであった。


 あれから約一年――。


 現在、すでに二作目の準備に入っている。

 今回はモデルを十人以上もつかい、写真自体もかなり凝ったものにする予定なので、考えなければならないことは山ほどある。

 私はこれに際して、二十枚の短篇作品を五つ書いたが、まだ役目は終わっていない。

 撮影がはじまると、私は作家から演出家に変身しなければならないのだ。

 これがなんとも面白く、スリリングで、そして、途轍もなくしんどい仕事なのである。


 撮影は、九月から。


 すでにモデルの人選は完了し、あとはロケーション・ハンティングのなかで撮影プランを立て、必要なものを集めて、秋の到来を待つばかりである。



 私はときよりメンバーに話す。


 どんなに努力をしても、自分のやりたいことが、その業界の人に受けいれられないことがある。

 もし器用に順応して、受けのよいように自分を変えられるのならそうして生きてゆくべきだが、逆立ちしても無理という人間だっているだろう。


 そんなときは、自分たちでレールを敷こうじゃないか


 自分たちだけのレールに自分たちだけの列車を走らせよう

 メジャーな列車に比べて、こちらは遅いかもしれない

 しかし、自分たちのルールにさえ合っていれば、そんなことは関係ないのだ


 真に自由であること

 表現を見つけること


 そして、世界の既成概念を打ち壊すことだ



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2011年07月29日

空っぽの砂丘




 葛藤の原因は“矛盾”にあると思う。


 材料を集め、熟考に熟考を重ね、創造と修正をくりかえして作品を完成させる――という、オーソドックスな小説の書き方に対する疑問が、いま私を苦しめている。


 本来、創作とはそんなものではないはずだ、という想いが私のなかにあるからかもしれない。


 この雑文のように、一切の資料を用いず、己の記憶と感性と呼吸だけで小説が書けたら、さぞかし刺戟的で、執筆しながら興奮することができるだろう。



 と言いつつ、すでに私はその方法論をつかみかけているのだ。



 五月に書いた短篇作品のなかでそれをやった。


 ペンを走らせるたびに驚きの連続で、全身が熱くなった。



 すべての神経をつかうため、脱稿後は疲労困憊だったが、達成感に満ちあふれ、幸福だった。



 呼吸するように書く。これが私の次の目標だ。





posted by 孤山青夏 at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 四00字の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする