小説にとってタイトルはいわば顔ですから、ここを疎かにすると作品そのものの印象が悪くなるし、たとえ内容はよくても、題名を見た時点で興味が湧かなければ、お客さんは本を手にとってくれません。
映画やTVドラマとちがって、小説は、どんなものでも製作元の会社が宣伝をして売ってくれるというわけには参りませんで、その書籍の見た目プラス題名でもって、まあいわば自分のみの力でもってお客さんを引きつけなければなりません。
そういう観点でいうと、この作品は、タイトルの時点でいくらか勝ちを得ているような気がしないでもありませんね。
すっかり肌寒くなった冬の日に、こんな題名の小説があったら、きっと、人恋しいひとでなくても、そっとその一冊を手にとってしまうはずです。
書いたのは中村航。タイトルは、
『僕の好きな人が、よく眠れますように』
ね、いいタイトルでしょう。いかにもキザで、すこし詩的な感じもして、でもってやっぱり、この数行のタイトルだけで、作品の中身がなんとなくわかるようになっているあたりが憎いじゃありませんか。 これで時代劇だったらお客さんは怒ってしまいます。
みなさんが感じたとおり、これは恋愛小説です。帯には「今年最高のラブ・ストーリー」と書いてあって、これはいささか大仰すぎる気もしますが、一応はそのジャンルにあることは確かでございます。
わたしはね、過去に、この中村航さんの作品を一度だけ読んだことがございまして、あれはたしか『ぐるぐるまわるすべり台』だったかなあ。大学生のときに読んだ記憶がございます。
そして正直なところを打ちあけると、それ以降はただの一度も読んだことがありません。そのときの一冊でもう懲りちゃったのですね。
中村さんにはとても失礼な話ですが、あの作品は全然おもしろくなかった。読んでいて腹が立ったくらいです。よくこんなので金がとれるな、くらいの悪態はついたかもしれません。
中村航ファンのみなさんは怒っちゃいけませんよ。これはあくまでわたし個人の意見ですからね。青春小説というジャンル、または物語というスケールに対して、未熟ながらも独自の理念のようなものを模索していた当時のわたしがそう感じたのですから、これはまあしょうがないといえばしょうがないことなのです。
そういうことにしておいてください。
学生時代のそんな経験があったものだから、それからの数年間、書店などで中村さんのお名前を拝見しても、その書籍を手にとることはしませんでしたし、今後もするつもりはなかったのですが、今回のこの一冊を見て気が変わってしまいました。
存外、これはいい小説です。
内容だけを書いてしまうとかなり簡素になります。
東京の大学院にいる主人公は、まあ青年といった感じの青年で、毎日研究室でマウスやらラットやらをつかって実験をしたり、夏休みには倉庫でアルバイトをしたりしている、限りなく普通な感じの大学院生なわけです。
そんなかれのもとへ、北海道からある女性がやってきます。彼女はまだ若い研究員で、主人公とおなじ大学院生なのですが、いわゆる助っ人のような役割でわざわざ北の地から一年間の期限つきでやってきたわけです。
彼女はまだ若いのですが、実はもう人妻です。人妻研究員です。そんな言葉が小説のなかにもでてきます。
だから、この物語の出発点においては、恰好の若者ふたりがでているのにも関わらず、かれらには結ばれる余地が残っていません。一年が経てば彼女は北海道へ帰ってしまうし、そこには最愛の夫が待っているし、主人公には主人公の、東京での生活が当然あるわけですから、とんでもないハプニングでも起こさない限り、その一年間はなんの変哲もない一年間にしかなりえません。
この作品はそのハプニングを、わりと地味に引きおこす、不思議なラヴストーリーなのです。
中村さんの書くセリフや言葉の使い方はおもしろいですねえ。何度か読んでいて吹きだしそうになったところがありました。こういった雰囲気は、たとえばTVでいうと宮藤官九郎さん、小説でいえば滝本竜彦さんや、いま新作を読んでいる山本文緒さんなどに見られる小気味よさで、独特のニュアンスがあります。
この作品にでてくる主人公の青年は、どこか飄飄としていてつかみどころがなく、そうかといって不真面目ではなく、遊び人でもなく、きちんと勉強はしていて、後輩への指導なんかもやっていて、自堕落ではないのだけども、でもやっぱりどこか普通じゃなくて、エキセントリックな面ももっていて、好奇心旺盛で、最終的にはごくごく純粋で、憎めないやつ、ってことになります。
かれは案の定、その助っ人研究員の女性を好きになってしまいます。その気もちはどんどんと募ってしまって、で、ついつい、彼女と電車に乗った際に、ちいさな声で「好き」といってしまうのですね。
でも相手は人妻です。毎日、午後十一時になるとどんなに忙しくても北海道の夫へ電話をいれるというほどの人妻です。いくら熱烈に恋したって叶うはずのない想いをかれは抱えてしまう、そしてついつい、それを口にだしてしまったのです。
これに彼女はなんと返したか。実はこちらも、短い言葉でした。
「同じです」
なんとまあ簡素で、極度に表現を省略したがる若者らしい返答でしょうか。
あまりにも呆気なさすぎて、逆にずきんと胸に響いてきます。
もうおわかりですね。そうです。ふたりは互いを愛してしまうのです。
もちろん彼女には夫がいて、一年が経てば北海道へ帰らねばなりません。そのあとのことはまだわからないし、将来のことだってふたりとも不透明です。どこで就職するのか、どういう仕事につくのか、ふたりにはそんな身近な展望についても、まだまだわからないことが山ほどあるのです。
ただ、それでもふたりは愛を確かめあいます。顔をあわせれば競うように「相手のことをどれだけ好きか」について表現をぶつけあうし、布団にくるまって簀巻きみたいになりながら、互いの体温を感じあったりもします。もちろん、SEXだってしているわけです。
この、どっちつかずの時間がなんとも現代風ですね。典型的な悲恋タイプの流れでもないし、もちろん、オーソドックスな純愛でもない。最終的にはどうなるか、当のふたりにもさっぱり予想はつかないけども、それでもとにかく、いまはきみのことが大好きだよというその愛情表現は、あまりにもさり気なく、それでいて強烈であるため、読めば読むほどこちらのこころに沁みこんできます。
大晦日の夜。彼女は北海道へ帰省しています。主人公は、期間限定で東京へ遊びにきている妹とふたりで、イルミネーションも鮮やかな東京タワーへとやってきます。
主人公はことあるごとに彼女へメールを送ります。ここでも「きみのことが好きだー」というような馬鹿メールを皮切りに、今度いっしょに温泉でもいこうか、それってふたりきり? ああもちろんだよ、キャァーどきどきどき、いますぐ会いたい、あたしも会いたい、といったような、ひとり身の人間からしてみれば殺意さえおぼえる内容のメールを交換し、そしてカウントダウンがはじまります。
3、2、1――。日付が変わった瞬間にかれが打ったメールの文面こそが、この作品のタイトルでした。
「僕の好きな人が、よく眠れますように。いつの日も、これからどんなことがあっても、健やかに眠れますように」
あっさりとしていて、後味もさわやかな恋愛小説です。劇的な展開や、燃えるような愛憎の世界はほとんどありませんが、寒い冬にひとりで読むにはもってこいの世界観です。
ひとり身のひとは、是非どうぞ。
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